箱根神社・九頭龍神社・箱根元宮

鎮座地

〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1

御祭神

箱根大神(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))

*御三神を併祀して「箱根大神(はこねのおおかみ)」と奉称し、お祀りしています。

例祭日

7月31日 湖水祭(宵宮・九頭龍大神の大御祭)
8月1日 例大祭(本祭・箱根大神の大御祭)

*湖水祭、例大祭を中心として、7月31日~ 8月6日まで一週間に亘り、芦ノ湖を巡って「芦ノ湖夏まつりウィーク」が執り行われます。

*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。

月次祭(毎月のお祭り)1日・15日

毎月、1日と15日に月次祭(つきなみさい)が斎行されます。

*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。

由緒

箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、開運厄除・心願成就・交通安全・縁結びに御神徳の高い、運開きの神様として信仰されています。
箱根神社の創祀は、当社の縁起『筥根山縁起并序』(1191 年成立)によると、第5代孝昭天皇の御代、聖占仙人が箱根山の駒ヶ岳に神仙宮を開き、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
奈良時代の天平宝字元年(757)、箱根山に入峰した万巻上人が、箱根大神の御神託を授かり勅願をもって現在の地に社殿を建立しました。この箱根大神を奉斎する社は「箱根三所権現(箱根権現)」と号し、仏教とりわけ修験道と習合し朝野の信仰をあつめました。
平安時代初頭、東海道の官道として箱根路が開通すると、当社は道中安全を祈る往来の人々によって遍く知られ、武家の興隆とともに名だたる武将が篤い崇敬を寄せました。
平安時代の延暦20年(801)、征夷大将軍の坂上田村麻呂は蝦夷征討の際に参詣して表矢を奉献。この嘉例に 倣い源頼義もまた天喜年間に参詣し表矢を献じました。
弘仁8年(817)、嵯峨天皇は勅によって当社に駿河・伊豆・相模の荘園を寄進。続いて鳥羽上皇も相模国酒匂郷48町を寄進されました。また平安末には中古三十六歌仙の歌人・相模が参詣し、御神前で百首の和歌を献詠しています。
鎌倉時代、源頼朝は当社を深く信仰し、二所詣(当社と伊豆走湯権現への将軍家参詣)を創始しました。鎌倉幕府歴代将軍による当社への参詣は幕府の恒例行事となり、当社は「関東守護」「関東鎮守」といわれ鎌倉幕府の祈願所として尊崇されました。執権北条氏の信仰も厚く、貞永元年(1232)執権北条泰時が制定した『御成敗式目』において、当社は祈誓を捧げる神々の筆頭に挙げ られ日本第一の起請の社として著しく神威を高め天下にその名声を博しました。
室町時代、関東公方足利氏が厚い崇敬を寄せたほか、戦国大名の北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直5代や徳川家康に敬仰され武門による崇敬の篤いお社として栄えました。
江戸時代、徳川家康は当社を厚く崇敬し、文禄3年(1594)に神領200石を寄進。慶長17年(1612)には大規模な社殿造営も行ないました。元和4年(1618)東海道が整備され箱根宿や関所が設置されると東西交通の要(交通安全祈願所)として当社の崇敬は益々盛んになり庶民信仰の聖地へと変貌しました。
明治の初年、神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は、箱根神社と改称されました。爾来、明治6年(1873)に明治天皇・昭憲皇太后両陛下の御参拝をはじめ、大正・昭和の現代に至るまで各皇族方の参拝が相次いで行われました。昭和55 年(1980)、昭和天皇・香淳皇后両陛下の御参拝に続いて、翌56 年(1981)、皇太子時代の今上陛下が御参拝になりました。また、民間も政財界人の参拝や年間2千万人を越える内外の観光客を迎えて、御社頭は益々殷賑を加えているのも箱根大神の御神威によるものであります。

神道の名言「御成敗式目」より

「御成敗式目」は「貞永式目」とも呼ばれ、北条泰時が貞永元年(1232)に評定衆に命じて編纂した鎌倉幕府の基本法典で、それ以降江戸時代に続く武家社会の基本法典として重用されました。
全部で五十一箇条からなっていますが、その第一条に「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」と定められています。

神社を修理し 祭祀を専らにすべきこと

とは、「御社殿をそして境内を整え、神祭りをしっかりやらなくてはいけません。そうすることで、神々の御加護のもと、日本の国の発展と、国民の幸福はいつまでも続くのですから」と云うもので、続いて次の名言が続きます。

神は人の敬によりて威を増し
人は神の徳によりて運を添ふ

この言葉は「神様は私共の尊崇・感謝と祈願をお受けになられて御威光を輝かされ御神威を高められます。私共は、力を増された神様の御神徳、即ち、生きる力・元気の源をいただいて幸せに進んで行けるのです。」と、云うもので、神社や家庭でのお祭り、お参りは、正にこの言葉を具現しているのです。
また、この武家の憲法ともいうべき、「御成敗式目」の巻頭に記される起請文(神仏に捧げる願文)には、

梵天帝釈・四大天王、惣日本國中六十余州大小神祇、別而伊豆箱根両所権現・三島大明神・八幡大菩薩・天満大自在天神・部類眷属・神罰冥罰各可罷蒙者也、仍起請状如件。

とあり、箱根大神は願いを捧げる神仏の筆頭にあげられています。
当神社は、鎌倉時代、源頼朝による特別の信仰と保護の下、鶴岡八幡宮に次ぐ幕府の準宗祀として、将軍家新年恒例行事の「二所詣」、即ち将軍自ら伊豆・箱根二所権現の参詣に預かり、関東総鎮守・箱根神社は、幕府の祈願所として、永く武門の崇敬を集めてきました。

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本宮と新宮

九頭龍大神は、芦ノ湖畔九頭龍大神誕生の聖地に鎮座する「九頭龍神社(本宮ほんぐう)」と、後年、湖水祭斎場の聖地たる箱根神社御社殿横に建立鎮祭された「九頭龍神社(新宮しんぐう)」の二ヶ所に祀られています。

九頭龍神社(本宮)

鎮座地 芦ノ湖畔(箱根九頭龍の森)鎮座
御祭神 九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)
月次祭 毎月13日
新年祭 1月13日
例 祭 6月13日
湖尻龍神祭 8月4日
月次祭(13日・毎月のお祭り)について

*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。

九頭龍神社(新宮)

鎮座地 箱根神社境内鎮座(右隣)
御祭神 九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)
月次祭 毎月15日
新年祭 1月15日
例 祭 4月29日
湖水祭 7月31日
月次祭(15日・毎月のお祭り)について

*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。

由緒

九頭龍神社は、古来、「箱根権現御手洗はこねごんげんみたらしの池」と称された「芦ノ湖」の守護神・九頭龍大神くずりゅうおおかみをお祀りする神社です。御祭神の九頭龍大神は、昔から人々に「九頭龍さま」と崇められ、商売繁盛・金運守護・心願成就・良縁成就等に特に御神徳の高い龍神様として信仰されています。
鎌倉時代初頭に編纂された箱根神社の縁起『筥根山縁起并序はこねさんのえんぎならびにじょ』には、「西汀にしのみぎわ驛路えきろあり。毒龍は波を凌ぎ、雲をとらふ。人民は多く損害を免れず。万巻は彼の深潭しんたんに臨んで石臺せきだいを築きいのらせしむ。しかに毒竜は形を改め、寶珠ほうじゅ并びに錫杖水瓶しゃくじょうすいへいを捧げて乞ひて受降を要す。
即ちじゅして之を鐵鎖てっさを以て繋ぐ。其の幹を号して栴檀訶羅木せんだんきゃらのきと名づく。厥その形は九頭くずの毒龍なり。」と記されており、芦ノ湖の九頭龍信仰の起源を伝えています。

湖水神事

九頭龍神社(本宮)では、毎月13日に月次祭つきなみさいが執り行われ、毎年6月13日に例祭が斎行されています。お祭りでは、御本殿での祭典に続いて芦ノ湖畔の斎場で、祭典でお供えされた神饌しんせんの内、米・酒・するめ・卵の四品が、各々九度に分けて湖中の九頭龍大神に献供される「湖水神事」が執り行われます。
湖水神事は、奈良時代の昔、箱根大神はこねおおかみの神力を得た万巻上人まんがんしょうにんが、里人に害を及ぼしていた九頭の毒龍を調伏ちょうぶくし、芦ノ湖の守護神・九頭龍大神としてお祀りしたことに由来します。

湖水祭

爾来、連綿として龍神湖水の祭りは継承され、毎年7月31日の夕刻には、箱根神社例大祭の宵宮祭よいみやさいとして九頭龍大神を祀る年間最大の龍神祭「湖水祭こすいさい」が斎行されています。
湖水祭は、箱根神社境内の九頭龍神社(新宮)で「庭上ていじょうの儀」が斎行され、続いて唐櫃からひつに納めて捧持する「御供ごく」を中心に御列が整えられて湖畔に進みます。桟橋から御供ごくを乗せた御供船ごくせんと、伴走する楽船がくせん御伴船おともせんが芦ノ湖に漕ぎ出し「湖上こじょうの儀」が始まります。
三艘の船は元箱根湾を巡行した後、平和鳥居前の湖上で見送る楽船と御伴船を残して、宮司一人が乗る御供船だけが湖心の祭場へ向かいます。湖心に着き浄闇の中、宮司口伝で継承される神秘の湖水神事が厳粛に斎行されると、祭祀の恙無き奉修を祝福する大花火が芦ノ湖上を鮮やかに彩ります。
「湖水祭」は往古より箱根神社固有の特殊神事として継承されており、新調のおひつに納めて御神前にお供えする特殊神饌の御供ごく(三升三合三勺の赤飯)は、精進潔斎しょうじんけっさいした神職が忌籠いみごもり、清らかに炊き上げて献供しています。

御守と御神印

箱根神社・箱根元宮・九頭龍神社三社の御守と御神印は、常時、箱根神社でお頒ちしております。
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鎮座地

箱根外輪山は駒ヶ岳山頂に鎮座し、箱根大神(はこねのおおかみ)の神体山「神山」を拝する、箱根神社 の奥宮です。

御祭神

箱根大神(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))

例祭日

10月24日 御神火祭
10月24日 例祭

*詳細は、「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。

月次祭(毎月のお祭り)24日

毎月、24日に月次祭(つきなみさい)が斎行されます。

*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。

由緒

駒ヶ岳は北に霊峰神山を拝し、古代祭祀=山岳信仰の霊地です。
その起源は、今から凡そ2400年前、第五代孝昭(こうしょう)天皇の御代、聖占仙人(しょうぜんしょうにん)が、神山に鎮まります山神の威徳を感應し、駒ヶ岳山頂に神仙宮を開き、次いで利行丈人、玄利老人により、神山を天津神籬(あまつひもろぎ)とし、駒ヶ岳を天津磐境(あまついわさか)として祭祀したのに始まります。
爾来、御神威は天下に輝き渡り、歴世の天皇の崇敬と庶民の信仰を集め、敬仰登拝する者、跡を断たず、第29代欽明(きんめい)天皇の御代に仏教が渡来していらい神仏習合して、修験者(しゅげんしゃ)達が練行苦行する霊場として有名になりました。
奈良時代、第46代孝謙(こうけん)天皇の御代、高僧の万巻(まんがん)上人が入峰し、箱根大神の霊夢をうけて天平宝字元年(757)に山麓の芦ノ湖畔に社殿を造営し、里宮としたのが現在の箱根神社です。
神体山神山を拝する駒ケ岳山頂鎮座の元宮は、箱根神社の奥宮として、昭和39年堤康次郎氏の寄進により再建されたもので、爾来祭祀が厳修され、四季を通して登拝者で賑っています。

史跡 馬降石(ばこうせき)

画像左の注連縄が張られているのが馬降石です。白馬に乗って神様が降臨(こうりん)された岩と傳えられています。
石の上の穴は降馬の折の蹄跡で、穴にたまる水は旱天にも枯れたことがないと傳えられる不思議な岩です。また参道の右側には馬乗石(ばじょうせき)があり、白馬信仰を今に残しています。

御守と御神印

箱根神社・箱根元宮・九頭龍神社三社の御守と御神印は、常時、箱根神社でお頒ちしております。
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箱根大神と九頭龍大神

関東総鎮守として箱根山に鎮座しずまります「箱根大神」の生み出だされる生命の根源たる水の力を、芦ノ湖の守護神としてつかさどってこられたのが「九頭龍神」です。九頭龍神の誕生逸話からも、箱根大神の御神徳なくして九頭龍神の御神威の発揚はないと言われる所以です。

両社参りと三社参り

皆様には、箱根神社と九頭龍神社の「両社りょうしゃ参り」、更には箱根神社の奥宮である箱根元宮もとつみやへの「三社さんしゃ参り」で、箱根大神と九頭龍神の一層大きな御加護をいただかれますよう祈念申し上げます。尚、三社へのお参りは、ご自身のご都合のよろしい日にそれぞれのお時間の中で、真心込めてお参りいただくのが一番よろしいものと存じます。

御守と御神印

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宝物殿

箱根神社宝物殿は、宝物資料の収蔵展示を目的に明治40年(1907)に開設された博物館施設で、平成19年(2007)正月元旦御鎮座1250年・宝物殿開設100周年を記念して新築・開館されました。
1階入口が受付です。
2階に常設展示館があり、3階で特別企画展を開催しております。

開館時間

午前9:00~午後4:30
年中無休 (展示替等の為臨時休館あり)

拝観料

個人
   大人(中学生以上)500円
   小人(小学生)  300円
団体(25 名以上)
   大人(中学生以上)350円
   小人(小学生)  200円
箱根神社は重要文化財に指定された宝物をはじめ数々の貴重な宝物資料を収蔵しています。

重要文化財 男神坐像

本像は「箱根神社神像群」と称する平安から鎌倉時代の8躯の神像のうちの1躯で、平安時代(11世紀前半)の制作とみられる男神坐像だんしんざぞうです。ひのきの良材を用いた一木造りで像高は67.5cm。頭部に幅広の巾子こじと太いこうがいを有する冠を戴き、冠に付くえい は二条の燕尾で両肩に懸り、ほうはかまを著して坐し、両腕は胸前で左手を 前にしてしゃくを執って威儀を正す姿が表されています。面貌は鼻すじが高く神々しい威厳に満ちた表情で彩色もよく残存しており、関東地方では最も古い神像の一つとされています。

重要文化財 女神坐像

本像は平安時代(11世紀前半)の制作とみられる大袖衣に領巾ひれのある衣を著て坐す唐装束の女神坐像です。
像高は60cm。檜の良材を用い脚部や手首を ぐなど、その構造は男神坐像との間に僅かな差異がありますが、その作風には共通性がみられます。本像は頭頂で髪を紐で結って二束のまげとして、後頭部より背中に長く垂らしており、額には前立て状の特異な頭飾がみられます。
彩色もよく残存し面貌はやや伏し目の穏やかな女神らしい表情であり、男神坐像と共に関東地方で最も古い神像の一つとされています。

重要文化財 万巻上人坐像

本像は奈良時代に箱根権現を創建した万巻上人まんがんしょうにんの木造坐像です。平安時代前期の作で、像高は85.5㎝。かや材を用いた一木造で関東最古の肖像彫刻です。
万巻上人は奈良時代初頭の養老年中に奈良で生まれ、二十歳のとき出家し、『方広経』一万巻を看閲かんえつしたことから、「万巻上人」と呼ばれました。諸国の霊場を巡行し、天平宝字元年(757)箱根山で入峰修行し箱根大神(箱根三神)の神託を得て勅願により箱根神社(箱根三所権現)を建立。奈良から平安初期にかけて我が国の神仏習合のさきがけとして活躍しました。 

重要文化財 箱根権現縁起

これは箱根権現垂迹すいじゃくの由来を説いた紙本著色の縁起絵巻です。制作年代は鎌倉時代末期とみられ、詞・画ともに11 段から成り本紙は全36枚からなり、縦35㎝。全長1451.9㎝。
内容は優美な絵と詞書を通して継子いじめによる姉妹の苦難を主題に、「二所権現」と崇められた箱根と伊豆両所権現の由来(本地譚ほんじたん)を記したもので、本地物語を絵巻化した例としては最古といわれています。巻末には芦ノ湖東岸に鎮座する箱根権現社の俯瞰ふかん図が描かれています。

重要文化財 赤木柄短刀

赤木柄あかぎつかとは赤みを帯びた熱帯産の堅木を主とし て腰刀の柄やさやに用いたものを呼びます。
本品は刀身が腐食しこしらえも完全ではなく、全長現存部28.7㎝。刀身長さ8.6㎝。身幅1.8㎝の鎌倉時代の短刀です。
柄と鞘の一部に波に花菱文様を刻んだ銅の筒金をはめ、目貫座金には梅花形金具が付けられています。社伝によると曽我五郎時致ときむね所持の短刀といい、その由来については『曽我物語』が詳しく伝えています。

重要文化財 湯釜

浴堂の湯船に注ぐ湯を沸かした大釜で箱根権現の別当寺東福寺のために鋳造されたものです。径105㎝。高さ90.5 ㎝ という大型の鉄湯釜の遺例は全国でも珍しく、銘文から鎌倉時代の文永5年(1268)に制作されたことがわかります。
湯釜は鍔つばが欠損し胴部から底部にかけて破損があり口縁に銘文を鋳出しています。
〈鉄湯釜銘文〉
大筥根山 東福寺湯釜一口満山大衆  別当法橋上人位隆實 文永五年戊辰十二月二日

重要文化財 浴堂釜

浴堂の湯船に注ぐ湯を沸かした大釜で箱根権現の別当寺東福寺のために鋳造されたものです。径105㎝。高さ100㎝の浴堂釜は銘文から鎌倉時代の弘安6年(1283)に制作されたことがわかります。
つばの一部が欠損していますが、大きな破損はなく口縁に銘文を鋳出しています。 
〈浴堂湯釜銘文〉
奉鋳冶大筥根山東福寺浴堂釜一口 奉為天長地久 御願円満 殊関東静謐武家安穏 別当法眼和尚位隆實并満山大衆 奉鋳冶之状如件 弘安六年癸未五月一日 大工磯部康廣

神奈川県指定文化財 銅造男神坐像

本像は鎌倉時代の制作とみられる束帯そくたい形の男神坐像で箱根神社神像群では唯一の銅造の神像です。像高39.2cm。膝張29.7㎝。膝奥20.2㎝。像全体は一鋳で別製のこうがいを付け、面部には彩色が施され、眼・眉髭は墨で、唇は朱で描かれています。
箱根神社の縁起『筥根山縁起并序』には、鎌倉時代初頭、藤原秀衡ひでひらが銅を以て神像を鋳造し奉納したことが記録されています。 

神奈川県指定文化財 女神立像

本像は鎌倉時代の制作とみられる一木造の女神立像です。像高57.8cm。臀張26.3㎝。腹厚15.7㎝。その形姿は単、表着、唐衣を着た宮中女官風であり、たもとに隠した左手を頭上に挙げて、その袖を後方に背負う姿は他に類例がみられず珍しい形姿の神像です。
本像は量感のある肉取と的確な表現により、簡明で印象深い造形を作り出しています。

箱根町指定文化財 筥根山縁起并序

筥根山縁起并序はこねさんのえんぎならびにじょは箱根権現の草創を著した歴史的縁起で箱根権現の第19 世別当行實ぎょうじつが、鎌倉時代の建久2年(1191)奈良興福寺の学僧信救しんぎゅう大夫坊覚明たいふぼうかくめい)に筆を執らせたものです。
箱根山の開山である聖占しょうぜん仙人や箱根三所権現を勧請した万巻上人の事跡をはじめ箱根神社の歴史が詳しく記されています。
これは、室町時代の寛正5 年(1464)に筆写し補筆された訓読本で、同じ頃に筆写された白文本も伝えられています。
紙本墨書。縦30.3㎝。横552.6㎝。

箱根町指定文化財 箱根権現御影

箱根権現御影はこねごんげんみえいは、箱根三所権現を中心に駒形権現と能善のうぜん権現の本地仏を描いた掛幅です。縦102cm。横46㎝。絹本著色。室町時代の制作とみられています。
中央に比丘びく形(文殊)、右に宰官さいかん形(弥勒)、左に婦女形(観音)。これに前立する形で右側に象座の能善権現(普賢)、左側に馬座の駒形権現(大日如来)となっており、その配置構成は『筥根山縁起并序』が伝える内容と一致しています。

箱根町指定文化財 曽我兄弟図絵馬

日本三大仇討のひとつ曽我兄弟の仇討で知られる曽我十郎祐成すけなり・五郎時致ときむね兄弟の騎馬姿を描いた大絵馬です。
江戸時代の文化10年(1813)夏目時冨により奉納されたもので絵は金箔の上に描かれています。木地着色。縦75.5㎝。横92.4㎝。

箱根町指定文化財 曽我五郎乗馬図絵馬

曽我五郎時致の乗馬姿が描かれた大絵馬です。慶安四年(1651)土浦藩の初代藩主朽木稙綱くつきたねつなが奉納したもので、絵師狩野安信が金箔に描いた絢爛けんらん豪華な大絵馬です。文化五年(1808)子孫の福知山藩十代藩主朽木綱方つなかたによって修復され、追銘には「佐々木朽木源公いみな稙綱者尊信相州箱根権現」と記されています。木地着色。縦141㎝。横197㎝。

社宝 太刀「微塵丸」

太刀「微塵みじん丸」は、源氏重代の宝刀で木曽義仲の奉納と伝えられてます。
鎌倉時代の建久四年(1193)微塵丸は、箱根権現別当行實べっとうぎょうじつより曽我兄弟の兄・十郎祐成すけなりに授けられ、父の仇討あだうちに使用された後、源頼朝が箱根権現に還納しました。本刀は全長112.5㎝。刃長91㎝。
銘は刻まれていませんが、備前国長円びぜんのくにちょうえんの作と伝えられています。

社宝 太刀「薄緑丸」

太刀「薄緑丸うすみどりまる」は、源氏重代の宝刀で源義経の奉納と伝えられてます。
鎌倉時代の建久四年(1193)本刀は箱根権現別当行實より曽我兄弟の弟・五郎時致ときむねに授けられ、父の仇討に使用された後、源頼朝が箱根権現に還納しました。本刀は全長94.8㎝。刃長76.5㎝。
銘は無いが三条宗近の作と伝えられています。本刀は元々、「膝丸ひざまる」と称し、その後は「蜘蛛切くもきり」、また「吼丸ほえまる」と呼ばれ、義経によって「薄緑」と命名された伝承をもつ太刀です。

社宝 白磁洞簫

白磁洞簫は中国南宋の建窯けんようで焼かれたもので、日本で唯一現存する白磁製の洞簫です。
その優美な姿から「伝・静御前しずかごぜんの笛」といわれ、義経の形見として静御前が携えていたものを、源頼朝が奉納したと伝えられています。洞簫は中国の管楽器のひとつで、縦笛たてぶえのことをいいます。

社宝 皇朝十二銭

皇朝十二銭こうちょうじゅうにせん とは、奈良時代から平安時代にかけて、わが国で鋳造された十二種類の銭貨(銅銭)のことをいいます。和同元年(708)の和同開珎わどうかいちんに始まり 万年通宝まんねんつうほう 神功開宝じんぐうかいほう隆平永宝りゅうへいえいほう
富寿神宝ふじゅしんぽう承和昌宝じょうわしょうほう長年大宝ちょうねんたいほう饒益神宝にょうえきしんぽう貞観永宝じょうかんえいほう寛平大宝かんぴょうたいほう延喜通宝えんぎつうほう、天徳二年(958)の乾元大宝かんげんたいほうに至るまでの十二種類が全て揃っています。

社宝 織田信長書状

この書状は織田信長が箱根権現ゆかりの梅隣庵宗永ばいりんあんそうえいに宛てたものです。
首部を欠いている為、前半部分の内容は不明ですが信長が庵や屋敷等寺務に関わる事を以前の様に相違無く召し返すように命を下した書状です。
日付の下には信長が使用していた「天下布武てんかふぶ」の朱印がみられます。

社宝 豊臣秀吉書状

この書状は天正18年7月12日に豊臣秀吉が聚楽第の北政所おねに宛てた自筆の手紙です。この手紙には小田原北条氏降伏の様子を伝えるとともに、秀吉の愛児鶴松から盂蘭盆会うらぼんえの贈り物として黄金50枚が届き家臣らと戦勝を祝ったことなどが書かれています。

社宝 大石内蔵助「預置候金銀請拂帳」

預置候金銀請拂帳あずかりおきそうろうきんぎんうけはらいちょう」は赤穂義士の仇討で有名な大石内蔵助良雄が書き記した仇討に要した金額の出納帳簿です。
赤穂開城より討ち入りに至る迄に要した費用(金銀)の明細が克明に記されており元禄赤穂事件の第一級史料といわれ、討ち入り直前の元禄15年12月14日夕刻、内蔵助から瑤泉院ようぜんいん(赤穂藩主浅野内匠頭長矩たくみのかみながのり後室)の附用人であった落合与左衛門勝信に届けられたものです。

社宝 有栖川宮熾仁親王掛幅

有栖川宮熾仁たるひと親王は明治天皇の御信任が厚かった有栖川宮家第九代当主で能書家として知られています。
明治維新ですぐれた勲功をたてられ、元老院議長、左大臣、陸軍大将、参謀総長、伊勢神宮祭主を歴任され、わが国の近代化に大きな偉業を成し遂げられました。
この神号掛幅は明治12年12月17日、御参拝の折に御染筆賜ったものです。

社宝 奈良絵本「曽我十番斬」

曽我十番斬そがじゅうばんぎりは、曽我兄弟による仇討の奮戦を物語った江戸時代に制作された奈良絵本です。
題名の通り、富士の裾野の巻狩に従った仇・工藤祐経すけつねを首尾良く討ち取った曽我兄弟が、その勢いで源頼朝の寝所に攻め寄せて十人斬りの奮闘を行った様子が描かれています。
紙本著色。縦31.6㎝。横22㎝。

社宝 歌川広重「豆州箱根権現」

これは歌川広重の筆による『諸国名所百景』の一つ豆州箱根権現と題する錦絵版画です。
現在の第2 鳥居周辺を描いたもので、朱塗りの両部鳥居や字オカマの地にあった湯釜と浴堂釜がみられます。
本作品は江戸時代の箱根権現の様子を伝える貴重な絵画史料です。
大判錦絵。縦36.5㎝。横24㎝。

社宝 歌川貞秀「東海道箱根山中図」

これは歌川貞秀の筆による「東海道箱根山中図」と題する錦絵版画です。現在の第1 鳥居周辺にあたるさいの河原前を通行する大名行列の様子を描いたもので、遠方には富士山や駒ケ岳、芦ノ湖を背景にした箱根権現社と朱塗りの鳥居がみられます。
本作品は江戸時代の芦ノ湖畔を伝える貴重な絵画史料です。大判錦絵三枚続。縦36.5㎝。横73㎝。

社宝 小林清親「箱根神社雪」

これは小林清親の筆による「箱根神社雪」と題する錦絵版画です。現在の第2 鳥居周辺を描いたもので、雪に埋もれた朱塗りの神明鳥居や湯釜と浴堂釜がみられます。
本作品は明治期の箱根神社の様子を伝える貴重な絵画史料です。横大判錦絵。縦24.5㎝。横31㎝。

以上、主たる宝物をご紹介申し上げましたが、当神社で所蔵する宝物は、以下の図書二冊で全宝物の詳細を紹介しています。

収蔵品図録『箱根の宝物』

当神社の全宝物をフルカラーで掲載。代表的な彫刻・絵画・古文書・工芸品等の名品を研究者の解説を交えて紹介しています。
(A4版・頒価2,000円)

特別展図録『二所詣』

「二所詣- 伊豆箱根二所権現の世界」の図録。特別展の展示品を研究者の解説を交えて紹介しています。
(A4版・頒価1,500円)
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