箱根神社・九頭龍神社・箱根元宮の
由緒並に宝物と文化財
箱根神社について
鎮座地
〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
御祭神
箱根大神(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))
*御三神を併祀して「箱根大神(はこねのおおかみ)」と奉称し、お祀りしています。
例祭日
7月31日 湖水祭(宵宮・九頭龍大神の大御祭)
8月1日 例大祭(本祭・箱根大神の大御祭)
*湖水祭、例大祭を中心として、7月31日~ 8月6日まで一週間に亘り、芦ノ湖を巡って「芦ノ湖夏まつりウィーク」が執り行われます。
*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。
月次祭(毎月のお祭り)1日・15日
毎月、1日と15日に月次祭(つきなみさい)が斎行されます。
*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。
由緒
箱根神社の創祀は、当社の縁起『筥根山縁起并序』(1191 年成立)によると、第5代孝昭天皇の御代、聖占仙人が箱根山の駒ヶ岳に神仙宮を開き、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
奈良時代の天平宝字元年(757)、箱根山に入峰した万巻上人が、箱根大神の御神託を授かり勅願をもって現在の地に社殿を建立しました。この箱根大神を奉斎する社は「箱根三所権現(箱根権現)」と号し、仏教とりわけ修験道と習合し朝野の信仰をあつめました。
平安時代初頭、東海道の官道として箱根路が開通すると、当社は道中安全を祈る往来の人々によって遍く知られ、武家の興隆とともに名だたる武将が篤い崇敬を寄せました。
弘仁8年(817)、嵯峨天皇は勅によって当社に駿河・伊豆・相模の荘園を寄進。続いて鳥羽上皇も相模国酒匂郷48町を寄進されました。また平安末には中古三十六歌仙の歌人・相模が参詣し、御神前で百首の和歌を献詠しています。
室町時代、関東公方足利氏が厚い崇敬を寄せたほか、戦国大名の北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直5代や徳川家康に敬仰され武門による崇敬の篤いお社として栄えました。
明治の初年、神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は、箱根神社と改称されました。爾来、明治6年(1873)に明治天皇・昭憲皇太后両陛下の御参拝をはじめ、大正・昭和の現代に至るまで各皇族方の参拝が相次いで行われました。昭和55 年(1980)、昭和天皇・香淳皇后両陛下の御参拝に続いて、翌56 年(1981)、皇太子時代の今上陛下が御参拝になりました。また、民間も政財界人の参拝や年間2千万人を越える内外の観光客を迎えて、御社頭は益々殷賑を加えているのも箱根大神の御神威によるものであります。
神道の名言「御成敗式目」より
「御成敗式目」は「貞永式目」とも呼ばれ、北条泰時が貞永元年(1232)に評定衆に命じて編纂した鎌倉幕府の基本法典で、それ以降江戸時代に続く武家社会の基本法典として重用されました。
全部で五十一箇条からなっていますが、その第一条に「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」と定められています。
とは、「御社殿をそして境内を整え、神祭りをしっかりやらなくてはいけません。そうすることで、神々の御加護のもと、日本の国の発展と、国民の幸福はいつまでも続くのですから」と云うもので、続いて次の名言が続きます。
人は神の徳によりて運を添ふ
この言葉は「神様は私共の尊崇・感謝と祈願をお受けになられて御威光を輝かされ御神威を高められます。私共は、力を増された神様の御神徳、即ち、生きる力・元気の源をいただいて幸せに進んで行けるのです。」と、云うもので、神社や家庭でのお祭り、お参りは、正にこの言葉を具現しているのです。
また、この武家の憲法ともいうべき、「御成敗式目」の巻頭に記される起請文(神仏に捧げる願文)には、
とあり、箱根大神は願いを捧げる神仏の筆頭にあげられています。
当神社は、鎌倉時代、源頼朝による特別の信仰と保護の下、鶴岡八幡宮に次ぐ幕府の準宗祀として、将軍家新年恒例行事の「二所詣」、即ち将軍自ら伊豆・箱根二所権現の参詣に預かり、関東総鎮守・箱根神社は、幕府の祈願所として、永く武門の崇敬を集めてきました。
九頭龍神社(本宮・新宮)について
本宮と新宮
九頭龍大神は、芦ノ湖畔九頭龍大神誕生の聖地に鎮座する「九頭龍神社(本宮)」と、後年、湖水祭斎場の聖地たる箱根神社御社殿横に建立鎮祭された「九頭龍神社(新宮)」の二ヶ所に祀られています。
九頭龍神社(本宮)
御祭神 九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)
月次祭 毎月13日
新年祭 1月13日
例 祭 6月13日
湖尻龍神祭 8月4日
月次祭(13日・毎月のお祭り)について
*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。
九頭龍神社(新宮)
御祭神 九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)
月次祭 毎月15日
新年祭 1月15日
例 祭 4月29日
湖水祭 7月31日
月次祭(15日・毎月のお祭り)について
*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。
由緒
鎌倉時代初頭に編纂された箱根神社の縁起『筥根山縁起并序』には、「西汀に驛路あり。毒龍は波を凌ぎ、雲を拏ふ。人民は多く損害を免れず。万巻は彼の深潭に臨んで石臺を築き祷らせしむ。爾に毒竜は形を改め、寶珠并びに錫杖水瓶を捧げて乞ひて受降を要す。
即ち咒して之を鐵鎖を以て繋ぐ。其の幹を号して栴檀訶羅木と名づく。厥その形は九頭の毒龍なり。」と記されており、芦ノ湖の九頭龍信仰の起源を伝えています。
湖水神事
湖水神事は、奈良時代の昔、箱根大神の神力を得た万巻上人が、里人に害を及ぼしていた九頭の毒龍を調伏し、芦ノ湖の守護神・九頭龍大神としてお祀りしたことに由来します。
湖水祭
御守と御神印
箱根元宮(奥宮)について
鎮座地
箱根外輪山は駒ヶ岳山頂に鎮座し、箱根大神(はこねのおおかみ)の神体山「神山」を拝する、箱根神社 の奥宮です。
御祭神
箱根大神(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))
例祭日
10月24日 御神火祭
10月24日 例祭
*詳細は、「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。
月次祭(毎月のお祭り)24日
毎月、24日に月次祭(つきなみさい)が斎行されます。
*詳細は、メニューから「毎月の祭りと四季の祭り」をご覧下さい。
由緒
その起源は、今から凡そ2400年前、第五代孝昭(こうしょう)天皇の御代、聖占仙人(しょうぜんしょうにん)が、神山に鎮まります山神の威徳を感應し、駒ヶ岳山頂に神仙宮を開き、次いで利行丈人、玄利老人により、神山を天津神籬(あまつひもろぎ)とし、駒ヶ岳を天津磐境(あまついわさか)として祭祀したのに始まります。
爾来、御神威は天下に輝き渡り、歴世の天皇の崇敬と庶民の信仰を集め、敬仰登拝する者、跡を断たず、第29代欽明(きんめい)天皇の御代に仏教が渡来していらい神仏習合して、修験者(しゅげんしゃ)達が練行苦行する霊場として有名になりました。
奈良時代、第46代孝謙(こうけん)天皇の御代、高僧の万巻(まんがん)上人が入峰し、箱根大神の霊夢をうけて天平宝字元年(757)に山麓の芦ノ湖畔に社殿を造営し、里宮としたのが現在の箱根神社です。
神体山神山を拝する駒ケ岳山頂鎮座の元宮は、箱根神社の奥宮として、昭和39年堤康次郎氏の寄進により再建されたもので、爾来祭祀が厳修され、四季を通して登拝者で賑っています。
史跡 馬降石(ばこうせき)
石の上の穴は降馬の折の蹄跡で、穴にたまる水は旱天にも枯れたことがないと傳えられる不思議な岩です。また参道の右側には馬乗石(ばじょうせき)があり、白馬信仰を今に残しています。
御守と御神印
三社参りのおすすめ
箱根大神と九頭龍大神
両社参りと三社参り
御守と御神印
宝物と文化財
宝物殿
1階入口が受付です。
2階に常設展示館があり、3階で特別企画展を開催しております。
開館時間
午前9:00~午後4:30年中無休 (展示替等の為臨時休館あり)
拝観料
個人大人(中学生以上)500円
小人(小学生) 300円
団体(25 名以上)
大人(中学生以上)350円
小人(小学生) 200円
箱根神社は重要文化財に指定された宝物をはじめ数々の貴重な宝物資料を収蔵しています。
重要文化財 男神坐像
重要文化財 女神坐像
像高は60cm。檜の良材を用い脚部や手首を矧 ぐなど、その構造は男神坐像との間に僅かな差異がありますが、その作風には共通性がみられます。本像は頭頂で髪を紐で結って二束の髷として、後頭部より背中に長く垂らしており、額には前立て状の特異な頭飾がみられます。
彩色もよく残存し面貌はやや伏し目の穏やかな女神らしい表情であり、男神坐像と共に関東地方で最も古い神像の一つとされています。
重要文化財 万巻上人坐像
万巻上人は奈良時代初頭の養老年中に奈良で生まれ、二十歳のとき出家し、『方広経』一万巻を看閲したことから、「万巻上人」と呼ばれました。諸国の霊場を巡行し、天平宝字元年(757)箱根山で入峰修行し箱根大神(箱根三神)の神託を得て勅願により箱根神社(箱根三所権現)を建立。奈良から平安初期にかけて我が国の神仏習合の魁として活躍しました。
重要文化財 箱根権現縁起
これは箱根権現垂迹の由来を説いた紙本著色の縁起絵巻です。制作年代は鎌倉時代末期とみられ、詞・画ともに11 段から成り本紙は全36枚からなり、縦35㎝。全長1451.9㎝。
内容は優美な絵と詞書を通して継子いじめによる姉妹の苦難を主題に、「二所権現」と崇められた箱根と伊豆両所権現の由来(本地譚)を記したもので、本地物語を絵巻化した例としては最古といわれています。巻末には芦ノ湖東岸に鎮座する箱根権現社の俯瞰図が描かれています。
重要文化財 赤木柄短刀
赤木柄とは赤みを帯びた熱帯産の堅木を主とし
て腰刀の柄や鞘に用いたものを呼びます。
本品は刀身が腐食し拵も完全ではなく、全長現存部28.7㎝。刀身長さ8.6㎝。身幅1.8㎝の鎌倉時代の短刀です。
柄と鞘の一部に波に花菱文様を刻んだ銅の筒金をはめ、目貫座金には梅花形金具が付けられています。社伝によると曽我五郎時致所持の短刀といい、その由来については『曽我物語』が詳しく伝えています。
重要文化財 湯釜
湯釜は鍔つばが欠損し胴部から底部にかけて破損があり口縁に銘文を鋳出しています。
大筥根山 東福寺湯釜一口満山大衆 別当法橋上人位隆實 文永五年戊辰十二月二日
重要文化財 浴堂釜
鍔の一部が欠損していますが、大きな破損はなく口縁に銘文を鋳出しています。
奉鋳冶大筥根山東福寺浴堂釜一口 奉為天長地久 御願円満 殊関東静謐武家安穏 別当法眼和尚位隆實并満山大衆 奉鋳冶之状如件 弘安六年癸未五月一日 大工磯部康廣
神奈川県指定文化財 銅造男神坐像
箱根神社の縁起『筥根山縁起并序』には、鎌倉時代初頭、藤原秀衡が銅を以て神像を鋳造し奉納したことが記録されています。
神奈川県指定文化財 女神立像
本像は量感のある肉取と的確な表現により、簡明で印象深い造形を作り出しています。
箱根町指定文化財 筥根山縁起并序
筥根山縁起并序は箱根権現の草創を著した歴史的縁起で箱根権現の第19 世別当行實が、鎌倉時代の建久2年(1191)奈良興福寺の学僧信救(大夫坊覚明)に筆を執らせたものです。
箱根山の開山である聖占仙人や箱根三所権現を勧請した万巻上人の事跡をはじめ箱根神社の歴史が詳しく記されています。
これは、室町時代の寛正5 年(1464)に筆写し補筆された訓読本で、同じ頃に筆写された白文本も伝えられています。
紙本墨書。縦30.3㎝。横552.6㎝。
箱根町指定文化財 箱根権現御影
中央に比丘形(文殊)、右に宰官形(弥勒)、左に婦女形(観音)。これに前立する形で右側に象座の能善権現(普賢)、左側に馬座の駒形権現(大日如来)となっており、その配置構成は『筥根山縁起并序』が伝える内容と一致しています。
箱根町指定文化財 曽我兄弟図絵馬
江戸時代の文化10年(1813)夏目時冨により奉納されたもので絵は金箔の上に描かれています。木地着色。縦75.5㎝。横92.4㎝。
箱根町指定文化財 曽我五郎乗馬図絵馬
社宝 太刀「微塵丸」
太刀「微塵丸」は、源氏重代の宝刀で木曽義仲の奉納と伝えられてます。
鎌倉時代の建久四年(1193)微塵丸は、箱根権現別当行實より曽我兄弟の兄・十郎祐成に授けられ、父の仇討に使用された後、源頼朝が箱根権現に還納しました。本刀は全長112.5㎝。刃長91㎝。
銘は刻まれていませんが、備前国長円の作と伝えられています。
社宝 太刀「薄緑丸」
太刀「薄緑丸」は、源氏重代の宝刀で源義経の奉納と伝えられてます。
鎌倉時代の建久四年(1193)本刀は箱根権現別当行實より曽我兄弟の弟・五郎時致に授けられ、父の仇討に使用された後、源頼朝が箱根権現に還納しました。本刀は全長94.8㎝。刃長76.5㎝。
銘は無いが三条宗近の作と伝えられています。本刀は元々、「膝丸」と称し、その後は「蜘蛛切」、また「吼丸」と呼ばれ、義経によって「薄緑」と命名された伝承をもつ太刀です。
社宝 白磁洞簫
白磁洞簫は中国南宋の建窯で焼かれたもので、日本で唯一現存する白磁製の洞簫です。
その優美な姿から「伝・静御前の笛」といわれ、義経の形見として静御前が携えていたものを、源頼朝が奉納したと伝えられています。洞簫は中国の管楽器のひとつで、縦笛のことをいいます。
社宝 皇朝十二銭
富寿神宝、承和昌宝、長年大宝、饒益神宝、貞観永宝、寛平大宝、延喜通宝、天徳二年(958)の乾元大宝に至るまでの十二種類が全て揃っています。
社宝 織田信長書状
首部を欠いている為、前半部分の内容は不明ですが信長が庵や屋敷等寺務に関わる事を以前の様に相違無く召し返すように命を下した書状です。
日付の下には信長が使用していた「天下布武」の朱印がみられます。
社宝 豊臣秀吉書状
社宝 大石内蔵助「預置候金銀請拂帳」
赤穂開城より討ち入りに至る迄に要した費用(金銀)の明細が克明に記されており元禄赤穂事件の第一級史料といわれ、討ち入り直前の元禄15年12月14日夕刻、内蔵助から瑤泉院(赤穂藩主浅野内匠頭長矩後室)の附用人であった落合与左衛門勝信に届けられたものです。
社宝 有栖川宮熾仁親王掛幅
明治維新ですぐれた勲功をたてられ、元老院議長、左大臣、陸軍大将、参謀総長、伊勢神宮祭主を歴任され、わが国の近代化に大きな偉業を成し遂げられました。
この神号掛幅は明治12年12月17日、御参拝の折に御染筆賜ったものです。
社宝 奈良絵本「曽我十番斬」
題名の通り、富士の裾野の巻狩に従った仇・工藤祐経を首尾良く討ち取った曽我兄弟が、その勢いで源頼朝の寝所に攻め寄せて十人斬りの奮闘を行った様子が描かれています。
紙本著色。縦31.6㎝。横22㎝。
社宝 歌川広重「豆州箱根権現」
現在の第2 鳥居周辺を描いたもので、朱塗りの両部鳥居や字オカマの地にあった湯釜と浴堂釜がみられます。
本作品は江戸時代の箱根権現の様子を伝える貴重な絵画史料です。
大判錦絵。縦36.5㎝。横24㎝。
社宝 歌川貞秀「東海道箱根山中図」
これは歌川貞秀の筆による「東海道箱根山中図」と題する錦絵版画です。現在の第1 鳥居周辺にあたる賽の河原前を通行する大名行列の様子を描いたもので、遠方には富士山や駒ケ岳、芦ノ湖を背景にした箱根権現社と朱塗りの鳥居がみられます。
本作品は江戸時代の芦ノ湖畔を伝える貴重な絵画史料です。大判錦絵三枚続。縦36.5㎝。横73㎝。
社宝 小林清親「箱根神社雪」
本作品は明治期の箱根神社の様子を伝える貴重な絵画史料です。横大判錦絵。縦24.5㎝。横31㎝。
以上、主たる宝物をご紹介申し上げましたが、当神社で所蔵する宝物は、以下の図書二冊で全宝物の詳細を紹介しています。
収蔵品図録『箱根の宝物』
(A4版・頒価2,000円)
特別展図録『二所詣』
(A4版・頒価1,500円)